「知っている=すごい」ではないなと思った話

「有益な情報を知っているというだけで、自分が有能な人間になった気になる」ということが、自分は往々にしてある。いわゆる「頭でっかち」というやつだ。

以前の職場での話。そこでは人材育成を目的として朝礼時に3分間スピーチを実施していた。それを担当した際、上記の事を痛感させられた出来事があった。

私がスピーチで話した内容は、インターネットで見かけた「問題解決」についての紹介。内容は「エレベーターが遅いというクレームに対しどう対処すべきか」というもの。

調べたら、ラッセル・L.エイコフの著書「問題解決のアート」に掲載されていたものであるとのこと。内容自体は割と有名なものだが、一応簡単に説明する。

とあるオフィスビルで「エレベーターの到着が遅い」というクレームが利用者から寄せられた。その対応として、担当技術者は「エレベーターの設置台数を増やす」「特定階にのみ停止するよう改修する」「スピードの速いエレベーターに変える」というような解決案を出したが、いずれもコストがかかりすぎる、何とかコストを抑え解決できないか。

答えは「エレベータ横に姿見のカガミを設置」だった。これは、問題点が「エレベーターが遅い」ことではなく、「エレベーターが遅いという不満が起きている」いうことであって、解消すべきは後者の部分であるということ。姿見のカガミを設置したことで、利用者は待ち時間に自分の身だしなみをチェックするなどして間を持たすようになり、結果、到着が遅いことの不満が解消。めでたくコストをかけることなく問題を解決することができたというわけだ。要は「問題の本質をみなさい」というお話である。

自分はこれはをインターネットで見かけ、これはいい情報だとスピーチのテーマに取り上げた。こういう情報を見た、問題の本質を見なければと思ったと。

行っていたスピーチでは、スピーチ後に質疑応答タイムを設けるルールになっていたのだが、その折、上司から以下の質問を受けた。

「では君はその情報を、例えばどのように業務に生かしているのか」

どう回答したかはよく覚えていない。何かわけのわからないことをしどろもどろになって言っていたような気がする。なぜまともに回答できなかったのか、それは「何も業務に生かせていなかった」から、「業務に生かしたという事例がなにもなかった」からだ。

そうなのだ。何を知っていようが何を持っていようが、それを活用し生かさねば無意味である。愚かな自分は、この上司からの質問(という形の指摘)を受けてそれを痛感させられた。

「インプットだけでなくアウトプットも重要」というような言葉をよく聞くが、まったくもってその通りである。

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